SNS向きでない長文転記場所

5年くらい前に他で公開した文章をほとぼりが冷めたころに転載したものです

ファントム空間論

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手足を失った人が、まだそこに手足が存在するかのような感覚を覚えるという現象はよく知られていて、一般的にこの感覚は「ファントム感覚(phantom sensation)」と呼ばれています。
むかし何かの本でこのファントム感覚の理論を応用した「ファントム空間論」というものについて知りました。
人は、机の下などに自分の手を入れたときに、自分の手が見えなくても大体どのあたりに指先があるかを感覚として知ることができます。
これと同様に、例えば車の運転が上手な人は、車体を目視で確認しなくても壁ぎわギリギリに停車することができます。
このとき、運転している人は自動車の車体を自分の体の一部であるかのように扱っている、つまりは身体感覚が自動車にまで拡張されていると解釈することが可能です。
これが「ファントム空間論」というものです。
ファントム空間を身体感覚としてつかめないと、車を壁にこすったり、ゴルフでティーショットを空振りしたり、または背中のリュックサックを他人にぶつけて顰蹙を買ったりします。
そしてこのようなファントム感覚は、熟練によりだんだん鋭敏になります。

最近、仕事で部屋のレイアウトや装置部品の図面を書くことが多いです。
2次元の図面で書いた感覚と、実際にそれが現物として出来上がってみた感覚の違いには、本当に驚きます。
広いと思っていた通路は狭くて通りづらく、ほとんど影響しないと思って空けたネジ穴は装置強度に問題を起こすほど深く、持ちやすいと思っていた取っ手は大きすぎて扱いづらいです。
図面作成に熟練した人はこのあたりの感覚が素晴らしく、2次元の図面を見た段階でかなり正確に3次元の完成品を思い浮かべることができるようです。
これもある種のファントム空間に対する、拡張身体感覚なのかもしれません。
紙に書いた図だけで実物を感覚的に捕らえることができるというのは、図面を通して仮想的な空間を形成し、そこに自分の身体を配置して「ファントム感覚」により実物の状態を知ることができるということなのです。

「せいふく!」という漫画があります。

http://www.amazon.co.jp/dp/4047284319

これはお色気ありモテモテ展開ありの伝統的ラブコメなのです。
ふと、2年ほど前に作者のインタビューがネットに掲載されていたのを思い出しました。

『せいふく!』著者、あっつんさんインタビュー|特集|Reader? Store|ソニー


---引用ここから---
しかし、2次元でのオシャレは難しいですね。
3次元でカッコイイと思うファッションをそのまま絵にしても全然画面映えしないんです。
現実には奇抜だと思うようなものを描かないといけない。
自分が好きな無地でシンプルな格好はどうも地味になっちゃう。
---引用ここまで---
これは3次元から2次元を想像するということであり、ファントム空間論とは逆の現象となります。
あえていえばファントム平面論とでもいうのでしょうか。

漫画やアニメの実写版とか、3Dフィギュア化というのは多数ありますが、これにもファントム感覚が必要不可欠のように思います。
2次元の絵をそのまま3次元に起こすと大惨事を引き起こすので、いかにしてデフォルメして立体化するかがポイントでしょう。
個人的な偏見を言わせていただければ、「のだめ」とか「デルマエ・ロマエ」は見事に実写化できた例だと思います。
そしてなにより「セーラームーン」のミュージカル!

ミュージカル:美少女戦士セーラームーン 25周年プロジェクト公式サイト

髪の毛の色が青色だったり緑色だったりと、実写版へのハードルは非常に高いのですが、サイト見るかぎりよく健闘していると思います。

一方で、東京ミュウミュウの着ぐるみははるかむかしに見たときには本当に目を疑いました。

http://www.mars.dti.ne.jp/~kousaku/kd/mewmew/mew.html

このなんともいえない気持ち、表現しようとしてことばというものの無力を思い知らされてしまいます。
この目で見つめられると、何もいえなくなるよ。

http://www.mars.dti.ne.jp/~kousaku/kd/mewmew/mew332.jpg

(2014年12月24日)

消費者向け商売の難しさ

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先日、中国産メタミドホス入り餃子事件が終結しました。

中国製ギョーザ中毒事件、被告に無期懲役判決 :日本経済新聞

この事件により中国の天洋食品は消滅にまで追い込まれました。
似たような食品に関わる事件は何度もおきていて、すぐに思いつくだけでもミートホープ船場吉兆なども、不祥事で会社自体が消滅しています。
改めて、消費者向けの食品業界の厳しさを目の当たりにした気分です。
たった一回の失敗で、会社の存立に関わるほどのダメージを受けるのです。
ミートホープはB to Bですが。)

この点、見事なのは明治乳業(現:明治)です。
かつて、日本の牛乳は森永がトップブランドで次が雪印、明治は3番手でした。
しかし、1955年の森永ヒ素ミルク事件と、2000年の雪印集団食中毒事件で両社がシェアを落とした結果、現在では明治のシェアが第1位となっています。
同様の事象は今年も発生しました。
アクリフーズ農薬混入事件です。
これにより冷凍ピザの市場の過半を占めていたアクリフーズ(マルハニチロ系)はほとんどの商品の生産を終了し、市場占有率2位であった明治が冷凍ピザのトップメーカーとなったのです。
私は食品以外でこれほど極端に製品のブランド力が落ちてしまう例を見たことがないように思います。
製造業ではクレームがつきものではありますが、だからといってそのメーカーが1回の問題でこれほどまでにシェアを大きく落とすというようなことは見たことがありません。

…とか考えていると、ふと「エンドレスエイト」騒動を思い当たりました。

エンドレスエイト (えんどれすえいと)とは【ピクシブ百科事典】

当時人気絶頂にあったアニメ「涼宮ハルヒ」シリーズにおいて、8週連続で全く同じ話を放映したために、視聴者からいきなりそっぽを向かれてしまったのです。
私は当時リアルタイムでは放送を見ていなかったのですが、ネット上でみるみる好意的な人が減り、批判的な意見が増えていくのが面白かったです。
8週が終わった時点で、「涼宮ハルヒ」はすっかり「オワコン」(終わってしまったコンテンツ)扱いになってしまいました。

さらに「涼宮ハルヒ」で思い出したのが、主人公役を演じた平野綾に関わる一連の騒動、いわゆる「平野ライフライン事件」です。
黒髪清楚系のアイドル声優としてオタクに大人気であった平野綾でしたが、突然
「私声優じゃないです。マルチで活動する邦楽アーティストですから」
「オタクっぽい人が好きって言ってますが実際彼氏にはしたくないです」
「彼氏はオタクじゃないです」
などとオタクの心を逆なでする言動を連発して、人気が急落した事件です。
その後も平野綾の言動はとまらず、彼女が金髪になったときにはオタク世界内で大騒ぎになりました。
金髪に反対する人たちが、脱金髪デモで盛大に…いや、なんでもないです。

とにかく、消費者向けの商売ってたいへんだと思います。
ペヤングの会社は大丈夫なのでしょうか。
意図的な混入ではなく、かつ生命に危険がないわりには社会的制裁があまりにも過大なように思いますが…。

画像は、日本餃子協会公式キャラクター「ちゃおずくん」です。
なかなかのセンスだと思います。

(2014年12月20日

男子大学生が就職すると太るという神話(フトゥルー神話)

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ちょっと前に中島啓子が急死しました。
体重が150kgを越えていたそうですが、やはりあれだけ太っていると健康へのリスクも大きかったのでしょうか?
数日前まで普通に活動していたとのことでびっくりです。

同じく肥満体であったナンシー関が亡くなったのは私が就職した直後でしたが、このときも本当に驚きました。
私自身はナンシー関に対する思い入れがあるわけではないので、悲しいとかそういう感情はありません。
でも、ほんの数日前まで普通に活動していた人が事故でもないのにいきなり亡くなるのを見ると、死は意外と近くにあるものだと実感します。
ナンシー関の死後、彼女の文体に似せた彼女の死に関する記事のようなものが出回ったのを見て、まだ彼女が生きているかのような錯覚を覚えたものです。
(参照:そんなわけで、急死である。 - 名文コピペR18 - Seesaa Wiki(ウィキ)
一緒に就職した同期にも体重が120kgの巨漢がいて、少し彼の健康が心配になったのを覚えています。

最近、「リスクの人類学」という本を読みました。

http://www.amazon.co.jp/dp/4790716295/

この中で紹介されていたアメリカの「Fat Acceptance」(肥満受容)運動は、私にとってはやや衝撃的でした。
医者や政府は統計から判断して、肥満は健康を害する因子と判断して、国民に肥満状態を解消するように勧告、要求します。
しかし、Fat Acceptance運動のメンバーは、産まれつき背の高い人と低い人がいるのと同様、産まれつき体重が軽い人や重い人がいるだけであり、肥満の解消を強要するのは存在否定、差別であると主張します。
多くの人のデータから、体重とある種の病気になる確率に正の相関があるのは事実だが、だからといって「自分にとって」太っていることが直接病気の原因となるものではないというのです。

これは一瞬
          ____
        /      \
       /  ─    ─\
     /    ⌒   ⌒  \     ハハッ ワロス
     |       ,ノ(、_, )ヽ    |
      \      トェェェイ   /
       /   _ ヽニソ,  く

で済ませてしまいそうになる話ですが、よくよく考えると彼らの主張が間違っていることを証明することは大変困難です。
もし彼らが病気になったとしても、その原因が肥満にあるのかそれ以外の因子にあるのかを分離することは不可能ですし、病気になっていないとなおさら何も言うことができません。
大げさにいうと、この世界というものに対する解釈の違いとなるように思います。
彼らの見ている世界と、肥満=不健康だと思っている人の見る世界は、全く異なったものなのかもしれません。

私がこれほど肥満にこだわるのは、単に私自身が徐々に太りやすい体質になりつつあるというそれだけではありますが。
私の周囲では、学生時代やせていた人でも就職した瞬間に太りだす例がたくさん見られました。
私はこれを、「就職したら太る神話」略して「フトゥルー神話」と読んでいます。
私自身は幸いこの「フトゥルー神話」からは逃れていたのですが、さすがに年齢的に厳しくなってきたようで、宇宙的恐怖感を感じている真っ最中です。
最近だんだんわかってきたのは、間食をすると太るのですが、間食をやめると「まだ今のうちは」すぐにやせることができるということです。
むかし、タレントのコロッケが
「このまえ試しに太ってみたらやっぱり体が重かったから、やっぱりやせることにした」
みたいなことを言っていたのを思い出します。

「太ってみた」ってすごいフレーズです。
ニコ生風に言うと「太り手」ですね。
わこつー。
やばいと思ったが、食欲を抑えきれなかった。

私はさすがに、「試しに太る」とかいうほどの余裕はなく、今でも間食を控えています。
甘いもの食べたいよう。

(2014年12月4日)

俊寛僧都とは関係ありません。

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最近、受験勉強や大学での研究を通じて人間的に成長する青年を描いた長編物語を読破しました。
もともとは頼りなかった主人公が、トラブルにも動じない立派な研究者に、そして愛する妻と結婚した夫へと変化していくさまは、かつてのドイツ教養小説を思わせる感動的なものです。
この物語の中では
「アイしあう2人がトーダイにいくと、シアワセになれる」
という伝説が鍵になっています。
アイしあう2人ではありませんが、私もトーダイいってシアワセになりたいので、今まであんまり行ったことのなかった高知県灯台、ということで足摺岬にいってみることにしました。

高知空港から電車で2時間ほどで宿毛市へ。
そこからさらにバスで2時間くらいで足摺岬
わかってはいたことですがものすごく遠いですよ…。
足摺岬は最初に黒潮が日本に近づく地点として有名ですが、確かに岬からはるか沖合いを眺めると、黒潮の色の違う流れが視認できます。
いい景色…。
あまりにも不便なせいか、ほかに観光客はほとんど見当たりませんでしたよ。

ついでなので足摺岬から車で1時間ほど北上したところにある、竜串というところにも行ってみました。
竜串はいくつかのサイトに分かれた海岸なのですが、どこも奇岩群やシロサンゴ礁が見られることで有名です。
観光パンフレットによると中でもイチオシは「見残し海岸」。
これは足摺岬で修行した弘法大師が、あまりのアクセスの悪さに見残したことから名づけられた海岸で、今でも観光用のボートでしかわたることができません。
とても楽しみにしていたのですが、なんとびっくり強風波浪でボートが欠航でした。
これは!弘法大師と全く同じことを今まさに私も経験した!
まさにコンテンツツーリズムの極地!聖地巡礼
弘法大師たん萌え~!弘法大師空海たん激萌え~!
とかいう罰当たりなことは全く頭に浮かばず、ただ単純に残念無念一休さんでしたよ。
日本のほとんどの場所からアクセスが不便なので、一生にもう一回来る機会ないだろうな…。
おかげで大幅に時間が余ったので、土佐清水市内でふらっと入ったもんじゃ焼き屋さんがおいしかったのが救いです。

鉄板もんじゃ おか柳

まさか土佐清水でもんじゃ焼き食べると思いませんでした。

佐清水は、どこに行ってもジョン万次郎一色でした。
ジョン万次郎資料館、ジョンマンポスト、ジョンマンロード、ジョン万次郎丼…。
ジョン万次郎を大河ドラマの主人公に!という署名活動まで行われていました。
タクシーの運転手によると土佐清水は過疎化が進んでいて大変だそうなので、観光でなんとか頑張ろうという感じでした。

足摺岬に行くと普通に考えると、高知市内に戻るか宇和島に行くかしかありません。
しかし、高知市内にはあまり興味を引く観光地がみあたらず、宇和島に行くと今度は宇和島からの脱出が大変です。
そこで、宿毛からフェリーに乗って九州に渡り、そこから別府温泉に行くことにしました。
別府温泉はいいところです。
いろんな種類の温泉が集中しているので、温泉のはしごをしても飽きることがありません。
私は明礬温泉というところに泊まったのですが、落ち着いた雰囲気だったし、宿で出た料理もおいしかったです。
もう一回行きたいな…。

珍しい温泉の噴出孔をバスでまわる「地獄めぐりツアー」というのに参加しました。
最初は熱湯の間欠泉とか、酸化鉄でまっ赤の血の池地獄だったのが、途中からワニとかフラミンゴとかアロワナとかの見学にすり替わってきて、ネタ切れ感が面白かったです。
このバスガイドさんから「別府温泉保養ランド」というところが泥湯で面白いとオススメされたのですが、スマホで調べてみるとなんか不穏な感じ。
混浴なので女性の裸を狙って待ち伏せする人がいるようで、人心が荒廃している様子です。
吉野屋コピペではありませんが、素人にはオススメできない感じ。
私はどうせメガネをはずしてしまうと、金八先生すらも女性と見間違えてしまうほどのど近眼なので、そんな変なところに行って変な目に遭うのも…ということでやめてしまいました。
寡聞にして知らなかったのですが、日本にはまだ混浴の露天風呂ってあるのですね…。

写真は足摺岬灯台です。
あらためて見ても、とんでもないところにあります。

 

 

なお、「アイしあう2人がトーダイにいくと、シアワセになれる」の出展元も張り付けておきます。
感動的な物語です。

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(2014年12月08日)

こんな頭おかしい文章書いておいてよくいうよ

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私は会社が好きではありませんし、会社で長時間働くことにはほとんど意味を見出さない人間です。
しかし、働き始めて10年余りで得たものもありまして、その一つが「頭の中を言語化する能力」です。

言葉にすれば消えちゃう関係なら
言葉を消せばいいやって
思ってた 恐れてた
だけど あれ? なんかちがうかも..

なんて歌もありますが、とくに会社において「言葉を消し」てしまうことは事実上不可能でしょう。
会社には、なにも言わずとも自分の意図を汲み取ってわがままを聞いてくれる「ママ」は存在しないのです。
そのため、自分の知識や意図を言葉にする必要があるのですが、これは残念ながら非常に難しい技術だと思っています。

毎回同じ例ばかり使うのですが、日本語の「は」と「が」の使い分けについて考えてみます。

 ・私「は」学校に行きます
 ・私「が」学校に行きます

ネイティブの日本語話者はこのような「は」と「が」の使い分けは無意識のうちに行っており、日常生活において悩むことはほとんどありません。
しかし、どのように自分が「は」と「が」を使い分けているかを言語化できる人はほとんどいないと思います。
「知っている」=「言語化できる」と考えている人がけっこう多いように思うのですが、実際はこの二つの間には大きな違いがあるのです。
そして、頭の中をうまく言語化するには、それなりに経験と訓練が必要なのだと個人的には感じています。

一方で、ここ10年くらいでもともと苦手だった非言語のコミュニケーションがますます下手になってきたようにも思っています。
少し前に和歌山県にある雑賀崎灯台というところにいったのですが、灯台への一本道に野犬が住みついていました。
えらく吼えかかってくるので私は通れずに困っていたのですが、地元の人は野犬にかまわず通っていったのです。
その人曰く
「あんなもん、目を見たら噛み付いてくるかどうかわかる」
だそうですが、私は目を見ても全然わからなかったですよ。
動物は人間との間合いを常に図っているようなところがあるので、間合いを詰めるのが苦手な人に対してはとことん攻めてくるのかもしれません。
私は友達を作るのが極端に下手なのですが、この原因は非言語コミュニケーションが苦手なことにあるような気もしています。

電子書籍で、「人生」というとても深遠なタイトルの書を見つけました。

http://www.amazon.co.jp/dp/4091573800

これによると、人と仲良くなるには

 ・スキンシップ
 ・聞き上手になる
 ・苦手な部分を見せる

の三点が重要だそうです。
スキンシップなんてここ何十年も、まともにやってないよな…。

(2014年11月28日)

おっさん「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」

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またしても時期を逸したお話です。
今年の9月にNHK公式ツイッターアカウントの初代担当者(通称「NHK_PR 1号」)がすでに退職していたことが発表されました。
そしてそれ以上に話題になったのは、この担当者が40代のおっさんだったことです。
たとえば、彼のNHK担当者としての最後のツイートをご参照ください。

「普通の子」「よろしくです」「ciao!!」などからにじみでる女性っぽさ。
確かにこれがおっさんかといわれると、なかなか見破るのは難しいところです。

こういうのは過去から例があって、一番有名なのは北村薫だと思います。
女子大生を主人公とした一人称小説により、覆面作家としてデビュー。
私は「空飛ぶ馬」くらいしか読んだことがないですが、確かに女性っぽいといわれるとそんな気もします。
まだ見ぬ女性作家を想像していた一部読者にとっては、作者が40歳のおっさんだと知ったときにはショックだったのかもしれません。

漫画家さんにはさらに、こういうことが多いです。
なぜなら彼らは後書きとか日記漫画で自分をキャラクター化することがあるのですが、そのキャラクターをかわいい女性にしてしまえば作者が女性であろうと思わせるには十分だからです。
例えば、近藤るるる篠房六郎はどちらも男性ですが、自画像が女性のキャラクターであるために、勘違いした読者もかなり多かったようです。
また、美水かがみの自画像は「にゃもー」なるかわいいネコの絵であったために、本人の写真が公開されるまでは多くの人が「勝手に」彼を女性だと思い込んでいたようです。

つらつら考えると、こういうのの起源はもしかしたら「土佐日記」なのかもしれないと思うようになりました。
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」
という最初の一文はあまりにも有名です。
紀貫之が、自分の侍女のふりをして書いた紀行文。
現代風に言い換えると、名家のおっさんが自分の家に仕えるメイドさんのふりをして、ときめきダイアリー(はぁと)をしたためてみた、というものでしょうか。
わざわざこんなめんどいことをした理由として、
「かな書きの柔らかい特性を活かした文学を志向したからだ」
見たいなことを言う人もいるようです。
個人的には、
「落ち着いた女性のふりをすることで、萌え豚どもをブヒブヒ言わせてやろう」
とかいう動機ではないかと思うのですが…。
平安時代の闇は深い。

17歳JKだけど今日中に1000いったら正体は38歳オヤジってことをばらす おもいっきり濁点

とかいうスレッドをみると、現代の闇も同じくらい深いのかもしれませんが。

(2014年11月21日)

第54話 さくらと思い出のカレンダー

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神戸市須磨区に位置する須磨寺は源平ゆかりの古刹として知られ、街から近いこともあって今でも人手でにぎわう場所です。
しかし、私は今まで須磨寺は訪れたことがありませんでしたので、山陽電鉄に乗って須磨寺を訪れてみました。

須磨寺公式サイトの「歴史年表」見てみると、
---引用ここから---
1891年(明治24年
若木の桜にちなんで寺内桜の名所となり、須磨寺を中心とした大遊園地ができる。
---引用ここまで---
とあります。

歴史年表|大本山 須磨寺

もともとこのあたりは単なる山林だったのですが、明治の末期以降に兵庫電気軌道(いまの山陽電鉄)が須磨寺と共同で開発を進め、「須磨寺遊園地」がオープンしたのです。
園内には桜が大量に植えられて奈良の桜の名所にちなんで「新吉野」と称し、また動物園や菊人形館なども併設されており、昭和10年代までは大いににぎわったそうです。
山本周五郎による大正15年のデビュー作「須磨寺付近」では、須磨寺の秋の風情が描かれているそうですが、春になると関西屈指の桜の名所として有名でした。
しかし、現在須磨寺にいってみると、遊園地がないのはともかくとしても桜がそれほど多いようには見えません。
むしろ周囲にはもみじや松、くすのきなどが目立ちます。
一帯どういうことでしょうか…。

最近読んだ「観光と空間」という本に、「花見名所の創出」という文章が掲載されていて、ここに答えが記されています。
(実は、今日須磨寺に行った動機も、この本を読んだからなのです。)

https://www.amazon.co.jp/dp/4779503647

---引用ここから---
市電須磨線が離宮道まで延伸されたのが大正15年6月、そして須磨駅前を終点として延伸されたのが昭和12年1月である。
その結果、明治43年から須磨―兵庫間で営業していた山陽電鉄(旧・兵庫電気軌道)にとって、市電は「厳しい競争相手」となった。
つまり、山陽電鉄は、神戸の市街地と須磨寺遊園地とを結ぶ唯一の鉄道としての地位を失ったのである。
すると山陽電鉄は、驚くべき行動に出る。
なんと「……市電に客を奪われたので商売にならぬと新吉野の桜を一本残さず明石に移し植え」てしまったのだ。
---引用ここまで---

路面電車(今の地下鉄)が競争相手として現れると、即座に須磨寺遊園地の経営を放棄して他の場所に退去したのです。

須磨寺にとっては、青天の霹靂だったことでしょう…。
経営のためには仕方ないのでしょうが、「ぐう畜」といってもいいくらいのドライさです。
今日は現地を見てきましたが、かつての遊園地中心部の大池周辺にはわずかに桜が見られましたが、とても名所として売り出せる状況ではありませんね…。

写真は、今日と大正ごろの大池の比較です。
大正時代のBの建物の位置には、現在は寿楼というホテル(白い建物)があり、辛うじてかつての保養地の名残を見せています。
しかしそれ以外は空き地かマンション、駐車場が広がるのみです。

(2014年11月16日)