SNS向きでない長文転記場所

5年くらい前に他で公開した文章をほとぼりが冷めたころに転載したものです

手仕事、いまだ健在なり。

「手仕事」という単語は過去からの正当性、人の温かみ、物語性を有しているとかいう「手作り神話」的なものを意味することが多いですが、今から書くのは違った意味です。

私の仕事では、特許や論文などを検索することがあります。
検索方法はgoogleでネットを探すのとあまり変わらず、適当なキーワードを設定してデータベースから文献を探すというものです。
入社したばかりの後輩に論文検索をお願いしたことがあったのですが、2時間後くらいにようすを見てみたら全然進んでいません。
話を聞くと
「検索結果が100件くらい出てきたから、キーワードを色々変えて試していた」
とのことでした。
どうも話を聞くに、コンピューターが適切な結果を一発で出せるような仕組みを作ろうと四苦八苦しているうちに、時間を浪費してしまったのです。
100件くらいなら、タイトルを全部ざっと見て、見るべきものを総当りしたほうが絶対に早いのですが、その後輩はそういう人力による総当りはあまり好きではない?ようでした。

人力による単純作業というは、この時代にも全く消滅していません。
一例に、「Amazon Mechanical Turk」というものがあります。
これは、ネット上でできる単純作業のバイトのようなものです。
例を挙げると、大量の写真の中からネコが映っているものをひたすらピックアップしていく、というような類のものです。
現段階ではコンピューターが自動的にネコの写真を判別することは困難なので人力に頼るしかありませんが、だからといって人がやる作業としてはクリエイティブとはとてもいえたものではありません。
(これを「機械仕掛けのトルコ人」とは、トルコ人に対してあまりにもあまりな言い方だとは思いますが。)
このような作業を通じて大量のデータを蓄積して、いつしかパソコンが自動的にネコを判別できるような仕組みを作ろうという狙いもあるようですが、まだしばらくは先のことでしょう。

とはいえ、手作業による単純作業は必要悪として一概に軽んじるものではないと思います。
小さい頃にやらされた漢字の書き取りはつまらないことですが、これを通じて漢字の書き方を体に覚えさせるという作用が期待できます。
野球の素振りや踊りの練習も似たようなものでしょう。
また、就職活動の時期になると
「履歴書をなぜわざわざ手書きにしなければならないのか?」
という話が毎年持ち上がります。
これは、学生に苦行を課したいわけでも、手書き信仰(手作り神話)があるわけでもありません。
履歴書がプリントアウト化だとしたら、一人の学生が入社応募できる会社の数が極めて多くなってしまいます。
その結果、各社の担当者が応募者の振り分けにかかる手間が増大してしまうので、応募に対するハードルを上げることで、手間を減らそうとしているのでしょう。
というようなことは、いまさら言われなくても知ってるよ、という人も多いかもしれませんが…。

最近、手仕事の偉大さを改めて認識させられたニュースがあります。
千葉県の3大有名人といえば、ふなっしー、千葉ットマン、そしてもう一人が今回の主題である千葉のYさんです。
ジャンプで連載している「ニセコイ」という漫画で、キャラクター人気投票が実施されたのですが、千葉のYさんは一人で手書きで1500票を特定のキャラクターに投票して話題になりました。

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これを受けて実施された第二回人気投票。
今度はYさんの推す万里花を2位になりました。
4518票のうちどの程度がYさんの仕業なのでしょうが…。
そしてそれ以上に驚異的なのは、19位に本人がランクインしたということ。
「漫画の人気投票で読者がランクインするという、ジャンプの伝統あるイベントの新たな地平を切り拓いてくれたYさんの功績は計り知れない」ということばは、彼の手仕事の偉大さに対して向けられたものです。

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その後、キャラクターではなくエピソードの人気投票が行われた際には、一人による大量の投票を防ぐために応募券制度がとられたのですが、このときも千葉のYさんは一人で800票を投じたのです。

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ジャンプ1冊250円(税抜き)として、800冊で20万円。
そしてそれ以上に驚異的なのは、本当に800冊を調達するという行動力です。
たとえ20万円もらったとしても、ジャンプを800冊調達することはとんでもない労力が必要なのです。

手仕事、いまだ健在なり。

(2015年04月19日)