SNS向きでない長文転記場所

5年くらい前に他で公開した文章をほとぼりが冷めたころに転載したものです

「シルバー」から「アルジャン」への言い換え

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兵庫県朝来市にある生野銀山に行ってきました。

http://www.ikuno-ginzan.co.jp/

たしか、中学校のころに遠足で来たことがあったはずですが、もう完全に忘却のかなた。
しかし、敷地の入り口に明延鉱山で使用されていた「一円電車」なるトロッコが展示されているのを見て、急速に記憶がよみがえりました。
ああ、こういうところだった…。

約1km程度の坑道内を見学できるのですが、徳川時代からの銀鉱山ということで、ところどころに当時の様子を再現した人形が配置されています。
ただ、その人形としてむかしよく見た西洋人の顔立ちのマネキンを使っているものだから、ちょんまげの西洋人が和服を着て労働者を見張るという妙な状態。
そこそこ楽しめましたが、わざわざ遠くから来るほどのものでもないかな…。
採掘に使われた工法や装置の展示もしてあるのですが、理系にありがちな「専門家以外にはよくわからん」説明でした。
そもそも、装置の呼び名としてメーカー名を先頭につけるという工場的感覚を、そのまま疑いなく使用して展示することからして無理がありますよ。
(「古河ロックドリル」とか「足尾立坑掘削機」とか…。)
そもそも銘盤を見て「古河」「足尾」がメーカー名だとわかる人自体が少数派だと思います。

鉱山から市街地までは3kmほど離れているのですが、その間を結ぶバスはとても本数が少ないです。
そのため、帰りは徒歩だったのですが、途中で三菱マテリアルのそこそこ大きな工場の前を通りました。
生野銀山ももともとは三菱のもちもので、生野の街自体が三菱の企業城下町だったのです。
しかし、三菱マテリアルのシリコンウェハ部門から分離したSUMCOの工場が、事業集約により閉鎖されてしまったのは悲しい雰囲気です。
生野は観光案内によると市街地も色々と見るべきものがあるとのことですが、実際いってみると古い家が何軒かあるのみ…。
唯一「志村喬記念館」は面白かったですが、銀山に興味ある人と志村喬に興味がある人はあんまり重ならないようにも思います。
鉱業自体が日本では衰退産業なので、生野も往時の活気がない様子でした。

銀山の町なので、かつては「シルバー○○」という施設や店が多かったようですが、老人を連想させるせいか今ではフランス語使って「○○ダルジャン」とかいう名前に変わっています。
(「ルートジャルダン」とか「カフェダルジャン」とか。)
ただ、「argent」って「金銭」の意味もあるので、ちょっとなんか生々しい感じもしますよ。

写真は銀山坑内の不動滝そばで勇ましく掘削していたであろう、古河レッグドリル(横向き穿孔用)の勇姿。

(2014年11月16日)

ノーベル賞と京都賞

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ノーベル賞関連のニュースがひと段落したら、今度は日本で最も権威ある賞のひとつである、京都賞の季節がやってきました。
今年の「思想・芸術部門」の受賞者は志村ふくみ。
一般にもとても人気のある染色作家で、いろんなところで個展やら企画展やらが開催されています。
私も数年前に滋賀県立近代美術館まで企画展を見に行ったことがあります。
そう、志村ふくみは滋賀県出身なのです。
着るための着物ではなく、完全に室内装飾用の着物がたくさん展示されていたのですが、正直いって芸術と縁の遠い私にはよくわかりませんでした…。

京都賞といえば、赤崎勇が受賞した際には、私も一般公開の講演を聞きに行きました。
赤碕勇は、窒化ガリウムを用いて世界ではじめて青色LEDを作り出したことで有名です。
青色LEDの材料である窒化ガリウムなどの化合物半導体は、まさに私の専門分野なのです。
そして、彼らのせいで私の今勤めている会社では、長年研究を続けてきたセレン化亜鉛という物質を諦めて、窒化ガリウムにシフトしたのでした。
Wikipedeaの「京都賞」の項を見ると

ノーベル賞を相補するような選出がなされている。」

とか書いてあります。
これは、創設者の稲盛和夫

「心の問題を研究することも非常に重要なので、京都賞にはノーベル賞にはない思想・芸術部門を設けた」

ということばを根拠としているのでしょうが、必ずしも正しくありません。
先にあげた赤碕勇が今年ノーベル賞を受賞したことからも明らかでしょう。
むしろ、京都賞はその分野の専門家のなかで評価が確立した時点で賞が授与されるのに対し、ノーベル賞は一般社会にインパクトを与えた時点で賞が与えられる、という違いがあるように思います。
医療によく用いられるMRI技術の発明者ラウターバーや、半導体へテロ結合を発見したアルフョーロフも、京都賞ノーベル賞の両方を受賞した超有名な科学者なのですが、かれらの受賞パターンもまさにこのとおりだと思います。

京都賞になくてノーベル賞にあるものとしては、平和賞が挙げられます。
今年は
日本国憲法9条を保持する日本国民」
が平和賞の候補となったそうですが、残念ながら賞を逃しました。
もし受賞していたら、史上最多の受賞者としても話題になったことでしょう。
もしかしたら、私自身もノーベル賞受賞者と名乗ってもよかったのでしょうか。
近年、憲法改正の議論は高まっており、ついには9条改正議論を題材にしたゲームが開発されるにいたりました。

もし受賞していたら、ノーベル賞を題材として宣伝活動ができただろうと思うと、本当に惜しいことです。

画像は、ノーベル文学賞受賞者莫言の頭像。
こちらによると、ネット上では「萌萌」と話題だそうですが…。

ノーベル文学賞受賞者「莫言」の頭像が上海でお披露目ネットでは「萌萌!」と評判 中国の反応は?: 雅日訳虎china−news

(2014年11月12日)

非現実のサクラは、かくも満開に咲く。

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今日は本当は出勤日だったのですが、あんまりお仕事が詰まっていなかったのと、昨日遊びすぎて疲れたので半休をいただきました。
ハンキュウベリーマッチ。

おととい、「久坂葉子がいた神戸」という企画展を目当てに、神戸文学館なるところに行ってきました。

神戸文学館ホームページ

最近、富士正春の「軽みの死者」という本を読んで久坂葉子のことを知って興味を持ったのです。

http://www.amazon.co.jp/dp/B000J6RWPG/

久坂葉子は本名を川崎澄子という1931年産まれの女流作家です。
わずか19歳にして芥川賞の候補になったのですが、21歳の大晦日に阪急六甲駅で飛び込み自殺してしまいました。
文学館に行く過程で六甲駅を通ったのですが、当然ながらここで起きた60年以上前の飛び込み自殺の形跡などなく不思議な感じです。
企画展はまあありがちな写真とか自筆原稿とかの展示でした。
ただ、会場においてあった来場者ノートに、
「川崎澄子さんとは知り合いでした」とか
「久坂さんはいつも××への寄り道で私の家を訪ねてくださいました」
というような書き込みがあって、突然ぶわっと鳥肌が立ちました。
この感覚、わっかるかなー?わかんねーだろうなー?いえーい。

冗談はさておき。
本でしか読んだことのない久坂葉子が、いきなり実体として立ち上がって私のいる「この世」とつながったことが私の心を刺激したようです。
つまりは、今この時代に生きている我々は、本の中の世界でしかない久坂葉子とつながっている…「軽みの死者」に書いてあることは、確かにこの世で実際に起きたことなのです。

私は、会社の社史などを読むのが大好きですが、これも似たような動機なのかもしれません。
かつて、大量の人々が、人生のうちの長い時間を費やした会社生活。
今となってはそこで産み出されたものは陳腐化し、現代に直接あたえる影響は著しく磨り減ってしまっています。
当時の新入社員すらもすでに定年退職していたりして、いまその状況を直接知る人もほとんど存在しなくなりつつあります。
しかし、この社史にかかれてあったことは実際にあったことなのです。
この世界に生きる大多数の人々は無名であり、早くもその人生の後半には、前半生に成し遂げたことが忘れ去られてしまいます。
でもしかし、だからといってそれらのことがなかったわけではなく、本当にあったことなのです。
私はこの実在感に安心を覚えているのかもしれません。

最近、「中二病でも恋がしたい!」というアニメを見ました。
一言でいうと、下に貼ったgif画像のようなアニメです。

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この中で、高校1年生の富樫勇太が中二病を卒業しようとして痛いアイテム類を捨てようとしたときに、同級生の小鳥遊六花に止められるというシーンがあります。
一方で、小鳥遊六花中二病を卒業しようとした際には、富樫勇太はその荷物整理を寂しそうに眺めます。
(結局はどちらも中二病を卒業することはなかったのですが。)
他人事ながら、過去を封印してなかったことにしようというその行為に、寂しさを感じてしまったのでしょう。
それは、中二病時代にその人と一緒に過ごした事実すら封印されて、なかったことになるような感覚とも直結するものだからです。
(他人が荷物捨てようが何しようが、文句言える筋合いではないのですが)
これも一種の実在感の喪失といえると思います。

こういうことを書くと、非現実の象徴ともいえるアニメから「実在感」とか言い出すこの中年おっさん死ぬほどモイキー、とか思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、非現実世界も過去の世界も、今まさに現在に生きる私から見れば、その存在を直接感知できない点においてはどちらも似たようなものなのです。
そして、
「非現実のサクラは、かくも満開に咲く。」
なんてことばもありまして、非現実世界の実在感には本質的に人をひきつけるものがあるのですよ…。

(2014年11月03日)

エボラ出血熱と金属盗難

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オーストラリアでは西アフリカからの入国が禁止されたそうです。

豪州、西アフリカからの渡航を制限 エボラ熱対策で :日本経済新聞

ボランティアでエボラ流行国を訪れる人は尊いのですが、細菌を連れて帰られるのは迷惑千万というふうに思う人も多いのかもしれません。
「人の迷惑かえりみず、やって来ました伝染軍団!」

www.youtube.comデンセンマンです。ベンジャミン伊東です。
ニューギニアから100万ボルトの送電線に乗ってやってきたヒーローです。
まだ数千人しか感染していない上に空気感染しないことを考えると
「まだあわてるような時間じゃない」
ように思えますが。
エボラ出血熱特有の高い死亡率と、ショッキングな症状が異常なまでに感情的な措置を引き起こしているのかもしれません。

デンセンいえば、もう一つ最近のニュースで思い出したのがこれです。

ソーラー発電所:狙われる銅製の送電線 メガ盗難 滋賀 - 毎日新聞

 メガ盗難ってなんなの?という疑問は置いといて、太陽光は夜間発電しないのが辛いところです。
常時発電している設備なら、電線を盗まれるといきなり電気が届かなくなるのですぐに気づくのですが…。
電線はほとんど純銅からできているので、かなりお高く売りさばけてしまうのです。
最近売電目的のメガソーラーがはやっているのと、投機によると思われる銅の価格高騰が重なったこともあって、当面はこんなニュースがつづくことでしょう。

そういえば、銅の以前に盗難が多かったのは、ステンレスでした。
ちょうど北京オリンピックの直前、中国需要を見込んでステンレス相場が急騰して、その影響でステンレスが片端から盗まれるような事態となったのです。
マンホール、車止め、ガードレール、 グレーチング、溝のふたなどなど…。
銅像とか持っていかれた例もあると聞きます。
すべて換金目的です。
鋼の換金術師です。
等価交換です。
こんな…こんなはずじゃ…畜生ォ…持って行かれた………!!!
私の勤めていた会社の取引先でも、屋外に鋼材とか置いていたのが念のためということで倉庫に入れるよう指示があったとか聞きました。
金属類は重量と体積が大きいので、盗難防止対策もかなり大変です。

 

画像は、等価交換漫画です。
これ、本当にスクエニともめたそうですよ。
もう20年近く前のことですね…。

(2014年10月30日)

「竹輪」は典型的な重箱読み

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ちょっと前に丹後半島に旅行に行ったときのことです。
伊根の舟屋めぐりの観光船案内所で、天橋立名物の焼きたて黒ちくわなるものを売っていました。
白人の観光客がカウンターのおばちゃんに、英語で
「これはナンデスカ?」
みたいなことを聞いていたのですが、残念ながらおばちゃんは英語力が不足していて「チクワ!チクワ!」というばかりでした。
日本ではありふれた食べ物ですが、外国人にとってはものめずらしいのでしょうね。
もし私に十分な英語力が備わっていたら、

「それは白身魚に少量の塩を加えた状態ですりつぶしたのちに棒に刺して焼いた食べ物ですよ。
じゃぱにーず・ばーむ・くーへん!
塩を加えることで魚肉中の塩溶性のタンパク質である筋原繊維フィラメントのミオシンとアクチンが溶け出して繊維状の巨大分子であるアクトミオシンが生成します。
このアクトミオシンの分子が網のように絡まりあうことで特有の弾力を持った食感となるのです。
昭和30年代に魚肉に砂糖とリン酸を加えることで冷凍変性を防ぐという、冷凍すり身が発明されたことにより、日本でも爆発的に生産量が増えたのですよ。
北太平洋の莫大なスケトウダラの漁業資源が利用できるようになったためです。
でもそのせいでもともとはご当地の魚で作られていたはずのちくわが日本全国で画一化されてしまったという弊害も指摘されています。
英語で『surimi』というと一般的にカニカマボコのことを言うのですが、実際は日本ではすりみはアクトミオシンによって弾力を発現させた魚系食物全般のことを言います。
そうそう、忍者ハットリ君に出てくる『獅子丸』というキャラクターの大好物がちくわであることから、広東語ではちくわのことを『獅子狗丸』と呼ぶのですよ。」

と、日本人なら誰でも知っているようなちくわ豆知識を説明してあげたのですが…。
ちくわを口にくわえて息をすると、半永久的にちくわ味の空気を吸うことができるなんてことは、100人いたら99人くらいはやったことがあるでしょう。
しかし、ちくわはその能力に比して注目されることの少ない食材であるように思います。

昔々のお話ですが、ファミコンのゲームに「ラサール石井チャイルズエスト」というのがありました。
これは当時売り出し中だったアイドルグループ「チャイルズ」を一流のスターにすることが目的なのですが、「チャイルズ」の一員に磯野貴理子がいたことからどのくらいむかしのゲームかがご推察いただけるでしょう。
「アイドルには絶対音感が必要!」とかいうことで、ゲーム内で「音感クイズ」というものが出題される場面がありました。
縦笛の「ミ・ファ・ファ・ファ・ミ・ラ」という音を聞かされて、日本語で何を言っているかあてろという恐ろしく無茶なものです。
答えは「ちくわのあな」。
なぜ何の脈絡もなくちくわなのか、よくわかりませんでしたが…。

わたしはおっさんなので世の中の流行には疎いのですが、噂では「ちくわパフェ」なるものがはやっていると聞きます。

ちくぱちくぱCKPCKP!

www.youtube.com

(2014年10月26日)

【要約】会社いきたくないよう

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気の抜けたビールのようないまさらな話ですが、安倍首相が東京オリンピック誘致の際に

Some may have concerns about Fukushima.
Let me assure you, the situation is under control.

と言ったことが話題になりました。
夏休みに「愛と暴力の戦後とその後」という本を読んだのですが、著者の赤坂真理
「そんなことに言い切りはありえないと思うが、彼(安倍首相)はにこにこと言い切った。」
と、不信感をあらわにしていました。

この意見は、完全に正当なものだと思います。
私は小学校の小さい頃に、友達と遊ぶ約束をしておきながらすっぽかしてもめたときに、父親に
「できるかどうかわからん約束はするな!」
と怒られたのを覚えています。
まったく正しいことばであり、今の私も同意する内容です。

一方で、少なくとも私の携わっている仕事の場では、
「できるかどうかわからない約束をする」
のはごく当たり前のことです。
私はB to Bの製造業で働いているのですが、新規に開発した自社の製品を他社に売り込むに当っては次のようなステップが一般的です。

  1. 新しい製品を開発して、他社に性能をアピールする。
  2. サンプル品を少量試作して、他社に出荷する。
  3. サンプル品の性能を、他社が評価する。
  4. 性能が良好な場合、本格的な採用となって大量に出荷する。

1の時点では、実験室でなんとかかんとか1個とか数個しかできていないことが普通です。
1個だけ大事に大事に作ると性能がよくても、大量生産すると性能が確保できないなんてこともざらにあります。
しかし、1の時点で売り込みの際に
「大量生産も全く問題ないです!」
と言いきってしまうこともまた、普通になされていることです。
その結果、私の経験でも最初の1個はものすごくいいものが入荷されたのに、その後はぼろぼろになってえらい目に遭う、ということが発生しました。
日本メーカーはまだ誠実なほうですが、米国はこの傾向が酷いです。
中国は、も~っと!酷いです。

もう一例挙げると、こんな報道があります。
「川重、三井造船との統合白紙に 社長を解任 」

  http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD130QY_T10C13A6MM8000/ 

これは特殊な例ではなく、ぱっと思いつくだけでも似たような事例は、
三井化学住友化学
ビックカメラエディオン
田辺製薬大正製薬
・エアリキードと大阪酸素
というように、ずらずらと出てきます。
セガなんか、バンダイやらナムコやらとの経営統合の発表と撤回をくりかえしたことで有名です。
普通に考えればこんなおおごとを撤回するのは大失態であり、本当に合併が決まってから発表するもののように思えます。
しかし、会社的思考ではそれでは遅く、できるかどうかわからない時点でも発表すべきなのです。

働く側に目を向けると、私生活では完全に誠実で善良な人なのに、会社での仕事では超嘘つきで大風呂敷を広げるということを、多くの人は普通にやっています。
私も同様で、私生活と会社生活で二つの人格を使い分けており、私生活での行いのよさを、会社生活で相殺している気分です。

私は会社に行くのが嫌いです。
これは、仕事に不満があるというのも原因の一つですが、そもそも「会社に行く」ことが嫌いなのです。
最近思うのは、これは私生活人間から会社生活人間への、人格転換に伴う不安定に起因するのかもしれないということです。

舞台用語で「トレマ」という言葉があります。
これは舞台にダンサーや演者が上がる前の、これから何かが起きることが避けられないという緊張感、逃げ場が失われる不安がどんどん高まっていく感覚、逃げ出したいけど逃げられない状態のことです。
人によってはこれを「わくわくするような不安」とも表現しています。
まさに私が感じているのは、この「トレマ」の感覚なのかもしれません。
会社に行く直前に「会社行きたくない」感が頂点に達し、会社に行ってしまうとまあまあ安定、そして帰るときにはもう少し会社にいてもいいかなと思うこともある…。
舞台とよく似ています。

そしてこの「トレマ」は、急性の統合失調症による妄想を発症する直前に患者が体験する感覚にも例えられています。
確かに、この妙な不安感はなんだか頭がおかしくなってしまうような感覚でもあります。
会社にいる私は、ある意味頭がおかしい状態にあるのかもしれません。
今のところ、なんとかギリギリ働いている感じではありますが…。

(2014年10月25日)

帰りたくないけれど現実へ帰らないといけないのもの

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先週天橋立に行ったときにも思ったのですが、日本中どこに行っても「歌碑」なるものが大量にあります。
松尾芭蕉なんかはまさにそうなのですが、かつての日本においては歌枕を訪れることが旅行の大きな目的でした。
過去の歌人や物語中の人物と同じ場所に立つことで、彼らとの一体感を感じようというものです。
まさに今でいう、コンテンツツーリズムですね。
そういえば、同じく先週訪れた舞鶴では、赤れんが倉庫群の一角が「坂の上の雲」とか「男たちの大和」のロケ地だったとかで、登場人物と同じ構図で写真を撮ろうといったようなことがパンフレットに書いてありました。
これも歌枕探訪と全く同じなのだと思います。

最近、ネットをうろうろしていたらこんなものを見つけました。

・全国アニメ聖地サミットin豊郷
全国アニメ聖地サミットin豊郷 (@toyosami) | Twitter

そうです、オタクの「聖地巡礼」もコンテンツツーリズムの一種なのです。
サミットのページの中身見るとけっこうまじめっぽい感じ。
また、「観光の空間」という本を最近買った(まだ読んでない)のですが、家に持って帰って目次を何気なく眺めると、「らき☆すた聖地鷺宮巡礼と情報社会」とかいう文章が掲載されていて驚きました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4779503647

これらが示すことは、オタクどもが観光地に落とすお金が無視できない規模に膨れ上がったということです。

聖地巡礼の特徴としては、オタクは貧乏なのでひとりひとりが地元に落とすお金はそんなに多くないのですが、その代わりにイベント時の動員力が半端じゃないというところにあります。
例えば、「花さくいろは」舞台の石川県の湯涌温泉
作中の「ぼんぼり祭り」を実際のイベントとして開催したところ、今年は1万2千人集まったそうです。
湯涌温泉でぼんぼり祭り : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
もともと湯涌温泉って、旅館も10件あるかないかのマイナーなところであることを考えると、ものすごいことです。
また、「ガールズ&パンツァー」の舞台となった大洗は漁業と原子力以外にこれといった産業のない場所だったのですが、いまや年間の観光客数500万人という一大観光スポットになってしまいました。

一方で、いつぞやも書きましたが、こういったオタクコンテンツのもう一つの特徴としては、あからさまに嫌悪感を示す人が非常に多いということもあります。
地元の人たちは、果たしてどういうふうに思っているのか、心配になったりもしますよ。
大学生の頃、同じ学年だった情報系の人とお酒飲んでいたのですが、酔いつぶれた彼が寝言で
「二次元はあかん!」
と叫びだしてめさめさびっくりしたのを思い出します。
彼はもともとアニメとか漫画を好まない人間でしたが、まさかそこまでだとは思っていませんでした。

そういえば、3年ほど前に「Baby Princess 3Dぱらだいす0(ラブ)」というアニメが上映されました。
明日から1週間限定で3Dアニメ『Baby Princess 3Dぱらだいす0』が劇場公開!! - 電撃オンライン
これこそ、世にはびこる「2次元への拒否反応」を克服する切り札だと思ったのですが、残念ながらあまり話題になることもなく消え去ってしまった印象です。
やはり、メガネをかけなければ3D化しないという手間が嫌われたのでしょうか。
とても不思議なことです。
情報通信研究機構の開発しているめがねなし3D映像が実用化されたら、こういった拒否反応もなくなるに違いない!
未来の3D映像 REI 大画面超多視点裸眼立体ディスプレイ


タイトルは、アナウンサーの松澤千晶のことばです。

松澤千晶 on Twitter: "旅行も楽しかったけれどアニメもやっぱり楽しくて、どちらも、帰りたくないけれど現実へ帰らないといけないのが凄く似てる。"
「旅行も楽しかったけれどアニメもやっぱり楽しくて、どちらも、帰りたくないけれど現実へ帰らないといけないのが凄く似てる。」
至言です。

(2014年10月19日)