SNS向きでない長文転記場所

5年くらい前に他で公開した文章をほとぼりが冷めたころに転載したものです

フランステロに思う

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テロテロ、エブリバディ~!
♪(BGM)


ということで、フランスの事件で海外メディアのニュースはテロ一色の一週間でした。
「パリの中心で、アラーアクバルをさけぶ」というやつですね。
ムハンマドの神聖と、言論の自由の神聖。
自らの信念が他者の信念よりより重要な信念だと考えるもの同士の争い。
まさに道徳的絶対主義の衝突です。

ただ、これまでの「テロとの戦い」関連と違うのは、西欧内部でも意見の分裂が見られることです。
シャルリーエブドを擁護する側の言い分は
・我々はイスラムだけでなく、あらゆる権威を平等に風刺している
・よって、我々は人種や宗教差別を行っているのではない
・風刺画はフランスの伝統であり文化である
言論の自由は何をおいても守られるべきである
ということですが、これに対してはローマ法王
「他者の信仰をもてあそんではならない」
と述べるなど、必ずしも一枚岩ではありません。
(参考:CNN.co.jp : ローマ法王「表現の自由には限度」 仏紙襲撃

個人的には、かつてのカラー柔道着騒動を思い出します。
柔道着は白色のみであったのを、ヨーロッパの競技団体が観客へのわかりやすさと見栄えの観点から、青色の柔道着の導入を主張したものです。
これに対して日本側は、
「柔道は単なるスポーツではなく、『武道』すなわち『道』であり、哲学である」
「白い柔道着は柔道の精神性の象徴だ」
「柔道は日本発祥なのだから、日本人が柔道着を定めるべきだ」
との主張を繰り返しましたが、結局は共感を得られませんでした。
今、私が客観的に見ても、この主張が同意を得るのは難しいと思います。
もし柔道の「純粋性」を保ちたかったのだったら、一子相伝のような閉鎖空間でのみ伝えていくべきだったでしょう。

シャルリーエブドの主張も、このカラー柔道着反対派と似たようなものだと思います。
「あらゆる権威を平等に風刺している」から他人が神聖視しているものを侮辱してもよいというのは、論理の飛躍でしょう。
また、「フランスの文化だから」というのも、上記柔道着の「純粋性」主張と全く同じく、受け入れらそうな気がしないのです。
もし本気で「伝統文化だから許して欲しい」と思うのであれば、これも限られた人間にだけ限定で配布するような同人誌とするしかないと思います。

いまシャルリーエブド誌の主張に反対するとテロリズムに同調しているとみなされかねないために多くの人は発言に慎重です。
しかし、今後は彼らの信念に対して広く共感を得ることは難しいかもしれません。
日本でも、実話ナックルズとかBUBKAなどの好戦的な雑誌でさえも、さすがに一般人を相手にした不謹慎ネタを掲載することはほとんどありません。
その場にいる人しか見ることのない舞台や、比較的アンダーグラウンドなサイトのような場でしか受け入れられにくいものを、公の場にさらすことの是非が問われることになるように思います。

画像は、「自らの信念が他者の信念よりより重要な信念だと考える」人の例です。
そう、客観的にはどうであれ、いろんな意見を持つ人はこの世にいっぱいいるのです。