SNS向きでない長文転記場所

5年くらい前に他で公開した文章をほとぼりが冷めたころに転載したものです

ぶちぶち…

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ちょっと前に麻雀やってて思ったことを書きます。
10000人いたら9999人の方にとってはどうでもいい話です。
まじめによむとがっかりする類の文章です。

 

「ぶち殺す」みたいな感じで動詞の前に乱暴さを強調するために追加される接頭辞「ぶち」って、意外にこのままの形で使われる例が少ないように感じます。

「ぶち殺す」「ぶちかます」「ぶちあげる」「ぶちまける」「ぶちのめす」「ぶちきれる」「ぶち壊す」…ほかなんかありましたっけ。

例えば、「蹴る」「攻める」などエ段で始まる語には、乱暴な意味の言葉であっても「ぶち」が使われることは少なくとも標準語ではほぼなさそうです。
また、
「ぶっ倒す」「ぶっ掛ける」「ぶっ刺す」「ぶっちぎる」「ぶったたく」
「ぶん回す」「ぶん投げる」「ぶん取る」
というように、促音便、撥音便の形で用いられることもあり、「ぶち」そのままはかなり珍しい部類に入るのかもしれません。
この意味においては、添付画像のような「プチ殺しますわよ」の表示が可能になったのは、日本語の偶然の産物のように思えたりもします。

ここで、どういうときに促音便、撥音便になるのかを考えてみると、法則性がありそうでなさそうな感じ。
例えば、同じ「か」で始まる語であっても、
「ぶちかます」「ぶっ掛ける」という風に、音便を取るものと取らないものがあります。
一方で、「ぶち殺す」「ぶっ殺す」のように、同じ語でも音便をとってもとらなくても自然な日本語になるものもあります。

五段活用の連用形+過去の助動詞「た」でもこういった音便変化は見られるのですが、こちらに関しては活用語尾の行によってどういう音便をとるかがほぼ法則化されていて、例外は数えるほどしかありません。
(参考:品詞の説明:Maniac-IME
これと比較すると、「ぶち」の法則性は相対的に低いように感じます。

 

いや、何が言いたいかというと、麻雀やってて「ぶっ通し!」とか叫ぶ場面がよくあるのですが、これが「ぶちとおし」でも「ぶん通し」でもなく「ぶっ通し」なのはなぜだろうかということなのです。
「ぶっ通し」がしっくりくるのは確かなのですが…。

(2015年04月12日)