SNS向きでない長文転記場所

5年くらい前に他で公開した文章をほとぼりが冷めたころに転載したものです

判断力批判

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私の上司が「判断が遅い」旨を、上司の上司に指摘されていました。
私も全く同意なのですが、上司は何を問題視されているのかすら理解していないようです。
言葉のやりとりがありながらも、いまいちかみあわず…。
その後、考えていたのですが「判断」という言葉が含意する内容に対する理解の違いがあるように感じました。

そもそも「判断」という単語自体は、(少なくとも)2種類の意味に取れます。

  1. 複数ある道のどれか一つを進むことに決める。
  2. 当座の態度を決める。

1の意味においては、他のありえる道をすべて捨てることになります。
そのため、リスクをとる必要、腹をくくる必要があります。
しかし、選択が遅れたせいで道が閉ざされることは防げます。
いわゆる「動かないリスク」は少なくとも避けることができます。

2の意味だと、「先送りにする」「成行きに任せる」と決めた場合でも「判断した」ということになります。
この場合、何もせずに道がどんどん閉ざされていくこと危険をはらみます。

上司の上司には1の意味で「判断」という単語を使っているのが、私の上司は2の意味で「判断」を用いています。
私の上司は「判断しろ」といわれたときに、「放置」という行為をとったのですが、これも上司にとってはどうやら「判断」だったのです。
そのために、「判断が遅い」と指摘されても、その意味が理解できないのです。
そのおかげで、色々と手遅れになりつつあるのですが…。

画像は碧陽学園生徒会の会長さまによる凛々しい「判断」の瞬間です

(2013年4月19日)